疑似体験が生みだす重み

ネット環境が普及し動画も簡単に投稿できるようになった今日、自分の興味のある内容の疑似体験が簡単にできるようになってきた。例えば海外の街を散策する動画や自然でサバイバルする動画、車中泊する動画、ゲーム実況動画もストーリー性を楽しむという面もあるが疑似体験だろう。疑似体験が簡単になればなるほど、僕は「実体験」の重みが増してくるように思う。疑似体験は夢の入口であり、あくまで夢のままだ。知識は増えても実際の苦労やそれを乗り越えた喜び、感動は虚構でしかない。そこに人生に加わる重さなんてない。それを理解した人は、夢を叶えたいと思うはずだ。疑似体験が簡単になったことで、人々はより多くのことを能動的なだけでなく受動的にも知ることができるようになった。夢ありきの疑似体験に加え、疑似体験から夢が生まれたり膨らんだりといったパターンが生まれるようになった。「違い」という非日常への道が圧倒的に増えたと思う。だから、「違い」を理解し、その歴史、理由、価値、尊さを人に理解させる知識と技術は、それを正確に伝える手段を持っているのならば、大きな資産になると思っている。

太宰府天満宮からそこそこ離れたところではあるが、家が一軒ある。祖父が設計した、日本式家屋と広く美しい庭のある立派な家だ。僕は建築物や言語、芸術が好きで、特にそれがそれである背景や理由を見つけるのは本当に楽しい。好きなことをすることが生活の糧を得ることに繋がるのなら、それはなんて素晴らしいことだろう。「違う」人たちにこの素晴らしい家で日本を実体験し、「違い」を感じ楽しんでもらい、彼らの人生にいくばくかの重みを与えることができるのなら、それはおもしろい生き方だと思う。

こういう生き方、親には反対されそうだけどね。家を使って商売するとご近所関係の問題も出てくるし、地に足がついていないとも言われそう。でもやってみんことには何もわからん。それこそ実体験だ。そのためには綿密な計画と踏みだす勇気が必要だ。

在宅で金を得る手段は不可欠だし、「違い」を効果的に理解し、理解してもらうには片方ではなく双方のあり方を正しく知っておかないといけない。また、違う言語には存在しないかもしれない概念を伝える本質を掴む力と高い語学力と表現力もいる。人に説明し体験してもらうには自分がまず体験してみないことにはそこに重みは加わらない。

先は長いが、自分なりに今一番魅力的なビジョンでもある。ビジョンというほど明確にもなっていないが。

でも人生は長いし、まず挑戦してみてはどうか。追い求める価値もあるだろう。

自分を客観的に振り返り、出来ることを正確に把握し、計画をきちんと立てて一歩一歩進んでいこうと思う。せっかくプライベートの時間を取れる企業に入ったんだ。それだけでチャンスと考えないと。人生は稼いだ金額で語れるものじゃない。金は超欲しいけども。

ここまで書いていて思ったけど、書くって楽しいな。自分の頭の中を整理できるし、書くために自分の実際を見つめ直すことにもなる。それと書くためにいろいろ調べることになる。調べると興味の幅が広がる。いい循環だ。そんな知的な生活おもしろいんじゃないかと思う。

それでもモチベーションは落ちるかもしれない。だからお金(=価値の数値化と具現化)に結びつくようにすべき行動を決めていくのが大事かもしれない。例えば日本のあることを読書や体験などを通して学び(インプット)するなら、それが正確に伝わるように英語にして、付加価値をつけて、日本だけじゃなく世界の人々に文章で発信し(アウトプット)するといったふうに。これで稼げるのか甚だ疑問だが、アウトプットすることで整理できるし、表現力も磨ける。目に見えない不安は大きいが財産となるものを効率的に自分の中で育てていかなくちゃいけない。

じゃあ、今日このへんで。まだまだ失うものなんて何もない!!